子どもの「自分らしさ」を育てるために
―宗教観とアイデンティティ形成の文化的背景から考える―
1. まず前提として
日本の子どもが、自己主張をあまりしない、まわりの空気を読む、他人の気持ちを察する—こうした姿が「精神的に未熟だ」と誤解されがちです。
しかしそれは、文化的にどのように“自分”が育つと考えるかという前提の違いによるものです。
日本の子どもたちは、決して未熟なのではなく、“関係の中で成熟するタイプ”の人格形成をたどります。
この文化的背景を正しく理解することが、子どもの育ちに寄り添う第一歩になります。
2. 宗教観の違いが人格形成の基礎をつくる
(1)欧米の宗教観:神は「外にいる存在」
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の世界では、神は人間の外にあり、創造主として絶対的。
善悪の基準は神が定め、人間はその意志に従って生きるよう求められます。
- 神は「見ている」存在。
- 嘘や過ちは神への背信(罪)とされ、告白や償いを通して赦される。
- 自分の意見を持ち、意思決定をすることは「神の前に誠実である」こと。
この考え方が、子どもの教育にも深く根づいています。
家庭や学校では「あなたはどう思う?」「自分の意見を言いなさい」と教えます。
自己主張は「わがまま」ではなく、「信念を持って生きる責任」の一部なのです。
したがって欧米の子どもは早い時期から、“自分の軸”を外部の倫理(神の教え)に照らして持つ訓練をしています。
彼らが堂々と意見を述べ、自立しているように見えるのは、宗教的・倫理的に背骨を与えられて育つ文化的仕組みがあるからです。
(2)日本の宗教観:神は「内にも外にもいる」
日本の信仰の基調には、神道・仏教・儒教が重なっています。これを重ね履きということもあります。
その特徴は、神は外から命令する存在ではなく、自然や人の内側にも宿るという考え方です。
- 嘘をつけば「心が濁る」。
- 罪は神への背信ではなく「関係の乱れ」。
- 悪いことをしたら「祓い清める」「誠を立て直す」。
つまり、正しさは神の命令ではなく、自分の心とまわりとの調和によって確かめられる。
道徳や信仰が「外」ではなく「内」にある—これが日本人の宗教的DNAです。
このため、日本人は「神社で初詣」「教会で結婚式」「お寺で葬式」という“宗教の使い分け”を矛盾と感じません。どれも「一つの世界の中の調和の儀礼」として自然に受け入れているからです。
3. アイデンティティ形成のちがい
(1)欧米:個の確立を早く促す文化
エリクソンの発達理論における「青年期の課題」は“自己同一性の確立”というもの。
欧米ではこれを「自分は何を信じ、何を選ぶか」を明確にする過程として理解します。
社会も家庭も「選ぶ自由」と「責任を持つ勇気」を尊ぶ。
その背景には、「神の前では個人が直接責任を負う」という宗教的原理があります。
だから、欧米の子どもは幼いころから「自分の意見を持つこと=信仰的・倫理的な義務」として育つ。
逆に、自分の意見を言わないのは勇気が無い、ダメなやつと見なします。
(2)日本:関係の中で成熟する文化
日本では、子どもの発達はまず「まわりとの調和」から始まります。
自己主張よりも先に「相手の気持ちを考える」「場を乱さない」「関係を整える」が教えられる。
この段階では、外に対して自分を主張するより先に、他者の反応を読み取る力が発達します。
自我はゆっくり、しかし確実に“関係の理解を通して育つ”のです。
西洋のように「神の前で自分を立てる」よりも、日本では「人との間で自分を立てる」。
発達の方向が、縦軸(神と個)ではなく、横軸(人と人)なのです。
この違いが、自己主張の“早い/遅い”という見かけの差を生みます。
実際には、どちらが優れているというよりも、成長の地図が違うだけです。
4. 子どもの「安心」と「芯」は、親の理解から生まれる
この文化差を理解せずに、「うちの子は自己主張が足りない」「もっとはっきり言いなさい」と焦ると、子どもは「自分の感じ方ややり方は間違っているのか」と迷いを抱きます。
この“迷い”は自己不信を生み、心の芯が育つのを遅らせます。
子どもにとって、安心とは「自分がどう育っているかを、親がわかってくれている」という感覚です。
親が文化的背景を理解し、どんな成長にも筋があると信じて見守る姿勢を持つこと。
それが、子どもの中に「自分を信じる軸」を芽生えさせます。
逆に、親自身が“外の価値観”に揺れていると、子どもは「何を信じていいかわからない」と感じ、精神的な安定を失う。つまり、親の中に芯があることが、子どもの安心の最大の条件なのです。
5. 関係性だけを重視しすぎることの落とし穴
一方で、関係性ばかりを優先して「みんなと仲良く」「波風立てない」を過度に求めると、子どもは“衝突を恐れるあまり、自分の意見を飲み込む”傾向を強めます。
結果として、表面上は穏やかでも、内側で葛藤を抱えたまま大人になるケースが増えます。
関係を大切にする文化の中でも、
- 間違いを認めて修正する勇気、
- 違う意見を伝える練習、
- 相手を尊重しながら自分を表現する言葉、
を家庭の中で育てることが必要です。
「相手の気持ちを考えなさい」だけでなく、「あなたの考えもしっかり伝えなさい」と添える。この一言が、関係の中で自律を保つ力につながります。
6. 親に求められる姿勢
- 子は親と別の人格。
子は親が守り育てる存在。経験、体験を与え、学習を与える。躾ける、叱るも育てる活動。しかし子は親と別の人格を持っている。その人格を尊重する姿勢は、親に一貫性の為の芯を持たせる。一貫性を持てば叱ることにも一貫性が生まれ、子どもにとっても芯になる。 - 焦らないこと。
成長速度は文化や子どもの気質によって違う。早い・遅いで価値を測らない。子の成長はどうしても気になる。保健師の示す成長曲線は親を不安がらせためでも、焦らせる為ではない。違うことを理解しそれを受け入れる姿勢が大事。 - 揺れないこと。
外の価値観や他人の子と比べない、わが子の発達の“筋”を見抜く。「誰それさんの子はこんなことも出来てる、でもうちの子は・・・」と言うときは大抵比べている。比べれば子に伝わる、子に伝われば子に不安が生まれる。比べない姿勢が大事。 - 芯をもつこと。
「わたしはこう考える」という親自身の倫理観や信念を言葉にしておく。それを子どもとの間で時々共有する。対話、会話は命令ではなく気持ちの共有。
子どもは、親の“揺れない軸”をそこで見つけ世界を安心して見始める。「なぜそう考えるの?」という子からの問は見つけようとする心の萌芽。 - 関係性と自律のバランスを保つこと。
「みんなと仲良く」と「自分の考えを持つ」は両立する。
調和とは、違いを否定したり、言いたいことに蓋をすることではなく、違いを前提に共にいる技術。どうすれば自分の考えをうまく言えるか?を一緒に考え、子どもに答えを見つけさせる。親が答えをださない。子どもは実体験の中で答えを修正する。
まとめ
欧米の子は「神の前で自分を確立」し、日本の子は「人との間で自分を育てる」。
どちらも“成熟”の形。大切なのは、親がその違いを理解し、迷いのない眼差しで子どもの成長を見守る芯を持つこと。 この理解を保護者が持つだけで、子どもは「このままでいいんだ」と安心し、その安心が、本当の自律の始まりになります。