突出して出来る子

たまたま目にした朝日新聞の特集記事「天才観測」の9回目の連載。記事自体は2024年1月なので少し前の話。そこで高いIQを持つ子ばかりを集めたクラスを作ったNPO法人翔和学園(東京)が、結局3年でそのクラスをやめたという記事があった。
詳細は記事をご覧頂きたいが、気になった「突出して出来る子」というワード。

自分も小学生から中学生ぐらいのころそうだったが、頭がいいとうらやましい、スポーツができるとうらやましいという気持ちは多かれ少なかれある。もちろん容姿についても同じ。カッコよければモテる。かわいければ人気がでるというのは事実。特に青年期までの間ではそれが結経グサリとくる。

子どものころから頭がいいと、将来もいい学校、いい会社に入れるんじゃないかと考える。親がそういう期待を言葉に出すか出さないかに関係無くこどもは薄々気づく。一方で特に際立って頭がいいわけでもない、スポーツができるわけでもない子どもたちは、どうせ自分なんかと考え、成績が良くなかったり運動が苦手だと自分はこの先もこんな人生なんだろうと諦めるというステレオタイプなイメージがある。

これ、かなり「あるある」な話だが、実は心理学的にも社会的にも完全に正しいわけではない。
たしかに、幼いころから勉強やスポーツで目立つ子は、教師や親から「期待される側」に回る。これを「ピグマリオン効果」と呼ぶ。期待が行動を変え、成績や成果が上がる傾向がある。逆に、そうでない子には期待が少なく、挑戦の機会も減る。だから「差が広がっていく」ように見える。となれば当然、親はどんどん期待を寄せる。まあ、そのうち子どもはそれをうっとうしいと思うのだが。

さて子どもの精神的発達、社会的発達でいえば本質的な問題は「頭の良さ」や「運動神経」そのものではない。むしろ、「自分は成長できる」と信じるか、「もう決まっている」と思い込むか。この受け止め方が分岐点になる。心理学ではこれをキャロル・ドゥエックの「固定的知能観」と「成長的知能観」で説明する。

ドゥエッグによれば「どうせ自分は…」と思う子は固定的知能観を持っていて、失敗を「能力の限界」と感じてしまう。一方で「今はできないけど努力すればできるようになる」と思う子は挑戦を避けない。時間はかかるが、後で伸びるのは圧倒的に後者。東大・京大の学生調査でも「努力の持続力」や「挫折耐性」が学力より強く成功を予測するという研究がある。スポーツでも同じで、子どものときに際立たなくても、練習量や自己調整力(自分で課題を見つけ修正できる力)がある人が最終的に上達する。だから、「頭がいい」「運動ができる」というのはスタート地点の話にすぎない。本当の分かれ道は「結果で自分を決めつけるか」「過程で自分を育てるか」だ。

ここがポイントだが、多くの普通の子が諦めるのは実力がないからではなく、社会や大人のまなざしが「固定的」であるせいでもあるから。

言い換えれば、子どもの最も近くにいる存在である親、保護者が左右しているということになる。

TOMONI Careerが保護者に対してキャリア教育講座を持っているのはその為なのです。